自己紹介(随時更新)

こんばんは。ピエロです。

ブログのデザインを一新し、眠りに就いていたこのブログを動かす時が来ました。

現在の時刻は、4:12分

最初の記事は、自己紹介を書いていこうと思います。

何でも書いてあるので興味のある所だけお読み下さい。

本当に長いです。

自分の読書歴とこのブログに関してだけ見たい方は、

各所にあるこのダイアログと最後の「ブログを始めたきっかけ」のみをご参照下さい。

生まれる~幼稚園

199X年2月5日、富山に生まれる。

幼稚園は家のすぐ近くにあるにも関わらず、バスから降りるのは最後だった。

きっと遠い家から最初に向かっていたのだろう。

最初は、一緒に乗っている子とおしゃべりをしていたが、友達が降りていくにつれ、窓から外を眺めながら家に着くのを待っていた記憶がある。

この頃から身長がとても低い。

幼稚園の先生とは年賀状を大学二年位になるまで送り合っていたが、いつの間にか送らなくなってしまった。悲しい。

音楽発表会で、ギロを演奏中に漏らしてしまうというアクシデントを迎える。

いつの間にか公文へ通わされる。「公文いくもん!」の公文である。マッマ塾早杉内???

小学校時代

気付いたら石川の津幡にいた(唐突)

親の転勤というありふれた理由で、入学して最初の夏休みが終わって秋になる位まで、津幡の小学校に通っていた。入学時の身長は確か80cmだった気がする。

低身長でチャーミングな顔をしていたので女の子にちやほやされていた(良い時代だった・・・)

同じマンションの友達と仲良くなり、外で遊ぶ事が多かった。家ではニンテンドー64の「マリオストーリー」や、ゲームボーイの「ポケモン金銀」を遊んでいたと思う。ゲームはこの頃から好きだった。

ちなみに、この頃にも公文へ通っている。しかも、塾行く前に大きい方漏らした覚えがある。どんだけ漏らすねん幼少期・・・。

秋になると、富山に戻り(元住んでいたマンションに戻る)、幼稚園同じだった友達のおかげで新しい小学校にも馴染む。

小学校3・4年の担任の先生はとても厳しい女の先生だった。手を挙げて発表する事が正義みたいな教室で、授業では手を挙げまくっていたと思う。特にこの時期は洗脳された様にこの先生が喜ぶ様な事をしていたと思う。いわゆる模範である。

小学校5年は打って変わって、優しいというか今思えば気弱な女の先生だった。音楽の先生で、生徒が何してても強く注意する事はなく、この時期は確か現代ほど酷くはないけど、いじめっぽいのはあった。

小学校6年は達観したおばさんの様な女性だった。授業見学(他所の学校の先生が授業を見に来る)で、自分が積極的すぎるほど手を挙げ、それが先生には不自然に思えたのだろう。3・4年の時に植えつけられた無意識が自分にそうさせたのだが、それを指摘され、軽くショックを受けた覚えがある。小学校を通してだが、友達は男女隔てなくいて、帰り道が同じ方向の友達と列を組んで隊長の様なポジションで寄り道にあちこち連れ回していた。

この頃は、仲の良かった女友達が二人いて、三人で遊んだり、それぞれの家へ遊びに行ったりしていた。バレンタインにチョコも貰い、今思えばこの時代は早すぎた青春だった。この時はホントに友達としか見ていなかったので、今思うと勿体無い気がする(何がやねん)この女友達は片方は、4年の時に神戸から来た転校生で、小学卒業と共に神戸の中学校へ行き、疎遠になってしまい、片方も同じ中学ではあったものの、何となく疎遠になってしまった。

自分はとにかく明るく活発だった、みんなにウケてもらう為に、帰りの会が終わった後に先生に後ろからおんぶ奇襲を仕掛ける等、ひょうきんな低身長ボーイだったのである。

自分の人間形成はこの位にしておこう(長すぎィ!)

この時期は、とても多彩な趣味に取り組めていた時期だったと思う。

パソコンでは、FLASH全盛期で、「おもしろフラッシュ倉庫」にハマり、更にチャットがとても活発な時代だった。当時「もなちゃと」という2chのAAキャラを操作して会話できるサイトがあり、そこで会話したり喧嘩紛いの事をしたり、自分のタイピング能力はここで養われたといっても過言ではない。メタコロニーという掲示板サイトにもハマっていた。

更に、「金色のガッシュベル」がアニメとして流行っていた時期でもあり、それのファンサイトの作成もしたりしていた(行動力の化身)。HTMLタグを小学生ながらに覚え、操っていた(今思うと凄い)。

更に、今昔クラブに5・6年時に入っており、「将棋」にもハマっていた。あの頃は、頭が柔軟だったのか割と仲間内では2番目くらいの強さで、北日本新聞主催の将棋大会に一度だけ出場し、リーグ戦を勝ち抜いたはいいものの、トーナメント戦で敗退してしまった・・・。自分も藤井聡太君になれていた可能性が微レ存

この時期に読んだ本で一番覚えてるのは「二分間の冒険」です。他には漫画の伝記、妖怪レストランやパスワードシリーズ、夢水清志郎シリーズ、あとは図書室の隅にあるおどろおどろしいサスペンスミステリーを読んだりしていました。

中学時代

中学に入ってからは、ひょうきんな性格とは打って変わっていくらか落ち着きました。己の今までのひょうきんさを恥じたのです。思春期ってやつでしょうか。

公文は嫌々ながらもまだ通っていました。月曜と金曜に通っていました。

部活は、バドミントン部に入り、ダブルスで主に頑張っていました。あまり上達はしませんでしたが、必死に食らいついて練習していました。コーチが厳しく、説教される事がしばしばあり、コーチという人間は難しい人間が多いと感じました。

1年の誕生日に携帯を買ってもらい、更にこの時に隣のクラスの女の子にプレゼントを貰いました。この女の子は自分の事が好きでメールで告白されました。この時、自分はその女の子をどう思うかより、告白された事が嬉しくてOKしました。何という単純な発想・・・。しかし、この女の子とはメールのやり取りばかりで、実際学校で会話するのが恥ずかしすぎて(周りの視線もあり)「サイバーカップル」と友達に言われる程でした。祭りに一緒に行って、不審者に声をかけられ二人で逃げたのが唯一の思い出です。1年くらい付き合って自分の方から振ってしまいました。理由は、思い出せないのですが凄く中学生らしいつまらない理由だったかもしれないです。

中学生活を通して、特定のグループに属するのではなく、色んな輪に出入りしていました。遊戯王にハマって、屋上付近で遊んだり、スマッシュブラザーズをやりに友達の家へ行ったり、カラオケや夜に外で語ったり、自分はなんでこんな輪にいるんだというグループに属したりもしてました。

中学は人間の酸いも甘いも知ったような時代だったと思います。虐められまではいきませんでしたが、嫌な目にあったこともありました。

中学の成績は普通でしたが、高校入試の成績は微妙なラインで無難な県立高校に入学しました。

国語英語が得意で、苦手な科目は美術理科

この頃も図書室には通っていました。分厚いファンタジーのシリーズ物や、外国の児童文学に知らず知らず触れていました。印象的な本は「穴」や「スパイダーウィッグ家の謎」です。駐在さんと僕らの100日戦争も読んでました。

高校時代

自分が入学した高校は元女子高で、自分が入った時には共学になってましたが、それでも男子は少ないほうでした。でも、男子同士が仲良くなりやすい環境で(少ないからそうなるのは必然なのですが)、この時代出来た友達は今も交友が続いてて、仲が良いです。

この頃には低身長をコンプレックスとしてあまり気にしなくなった様に思います。もうどうしようもないと受け入れていたのかもしれません。流石に高校ともなるとある程度良識を弁えているので諍いや喧嘩もあまりなく平和でした。

一年の時の担任は、とても厳しい女性の先生でした。予習の仕方は全て指示通りにやらなければならず、授業で予習の甘さで答えられないと立たされたりしました。テストも難しく、赤点の犠牲者は多かったです。しかし、この先生のお陰で、国語が自分にとって大学入試の武器になったのは本当に感謝してます。2・3年は担任ではなかったのですが、後期試験までお世話になりました。

2年の時の担任は、ドS女王のような英語の先生で、可愛らしい顔と対照的にイヤミがえげつない先生でした。でも皆に好かれるオーラを持っていて、畏怖こそしていましたが嫌いではなかったです。

3年の時の担任は、体育会系のガタイの良い男の先生でした。この先生は、受験に関して的を射たアドバイスを貰えてた気がします。「一日10時間勉強」という具体的な目安を示してくれました。とにかくポジティブというか余計なこと考えずに前へ前へというタイプの先生でした。

 部活は3年通してバドミントン部を引き続きしてました。最初の一年は中学の時とは逆に、ゆるーく楽しむように活動してました。この時に出会った友達が同じ大学で同じ部活に入る親友です。そんなゆるい部活動生活も二年目で、新しい顧問が来て打ち砕かれました。自分は部長になり、中学と同じようなガチの練習メニューをこなす日々でした。シャトルランや筋トレもし、当時は腹筋がちょっとは凄かったです。理不尽な顧問でみんなから嫌われていました・・・。

高校時代は、交友関係も広がり、ヴァンガードツイッターがブームでした。ツイッターで仲良くなった他高校の友達が出来たり、なかなか楽しい日々でした。

受験100日前ともなるとツイッターを休止しました。あるあるですね。この頃は意識が凄まじく、一日10時間ほんとに毎日勉強していました。それぞれの教科の勉強方法が自分の中で確立していて、今では考えられないやる気をこの時期は出しました。ここで完全燃焼してしまったのが後の大学生活に響きました(不穏)。

高校は女子が多かったので、恋愛の一つも、となるのですが実はありました。しかし、3ヶ月で自分から振ってしまいました。この理由は割と何個か覚えていますが、自分は恋愛向いてないとひしひしと感じました。悲しい世界・・・。この時は、受験のやる気と友達と遊ぶほうが楽しいとさえ思ってました(修行僧か何か???)

最後の方の模試で点数が伸び始め、センター試験本番でもベストの点数が出ました。しかし、大学の前期試験はうまく奮わず、後期試験の小論文でゴリ押しで合格しました。この頃は精神がすごかったです。前期試験が終わってツイッター復帰して気が緩んでいたからでしょうか。合格したので結果オーライです。

この時期は「三国志」ばかり読んでいました。吉川英治北方謙三の物を愛読していました。図書館には読書する目的というよりかは勉強する為に通っていました。部活や遊びや勉強やであまり読書はできなかったです。友達に勧められ伊坂幸太郎を何冊か読みました。

大学・現在

受験がギリギリに終わった事もあり、入学できてからは最初こそシャキシャキしていましたが、その自由な生活の余り怠惰になってしまいました。やる事やってこその自由なのですが、典型的なダメ学生というやつです。大学に入ってから何をしたいか、というのを高校の時に考えずに入った事を後悔しました。

部活はサイクリング部に入りました。この部活で経験した体験は自分の唯一の財産だと思います。春・夏は長期合宿に10日ほど、普段は土曜日が活動日で、県内をサイクリングしました。この部活は皆様想像される通り、初期投資がすごいです。なにせ、自転車とキャンプ用品を買うのです。今やってる「ゆるキャン」のイメージに近いです(未視聴)

バイトと部活動に傾倒する余り、生活習慣も荒み、語学の単位を落とす所から崩壊が始まりました。二年になって、コースに配属されましたが、そのコースの自分の教授は自分を含め2人しかいませんでした。この頃は部活動の仲間や後輩や先輩とばかり、関わり、大学の友達は数人しか作りませんでした。自分の教授の授業は出ていましたが、それ以外はサボるようになっていました。

そこからバイトは行くものの、大学は行かないクソっぷりになりました。それを見かねた同じコースの別の教授が自分のゼミに誘ってくれ、徐々に復帰していきましたが、それでも怠惰は簡単に治らず。しかし、根気良く通い単位はどうにかなってきました。

そして、余裕が出てきて去年ツイッターで読書垢を始めました。高校の時にやっていたツイッターのアカウントは消してしまっていました。確かその時はネットだと人間の嫌な部分が見えて嫌になるというのもあり、SNS離れ的な感じでツイッターを辞めていました。

大学生活前半はほとんど読書していませんでした。「読書離れ」の学生の典型ですね。レポートや読まざるを得ない本以外は読んでいませんでした。高校の読書してた時期から結構年月が経っており、去年読書をまたしていこうと読み始め、丁度一年で80冊位読みました。中村文則を読んで、自分と向き合う読書というのを知った気がします。最近読んだ本に関しては、ツイッターで読了ツイートをリアルタイムに更新しております。純文学とミステリーに偏っている気がします。自分の読書歴はマチマチですが、これからはずっと継続していくものになるだろうなと思ってます。小中高・現在とジャンルが偏在してるのが面白いですね笑

ブログを始めたきっかけ

ツイッター読書垢をしているだけでも十分なのですが、ツイッター字数制限(140字)があり、その字数以内に納めるのも楽しいのですが、自由な字数で語りたいという思いから作ることにしました。

ブログの原型は二年前位に出来ていましたが、やっと諸々の設定(これが大変なんですよね)をやり、始めようと思いました。これから忙しくなるのでマイペースな更新になるとは思います。

あと、自分はよく色んな読書ブログを探すのですが、これだ!という読書ブログが少ないです。おすすめ本を紹介するブログにしても、有名どころ・鉄板ばかりで内容が重複しているブログが多いなと感じました。(例:ミステリーおすすめ→十角館の殺人)←これは単純過ぎますが笑

そういう訳で、自分の視点でおすすめを紹介できればと思います。基本、自分の読んだ本の感想をまとめる予定ですが、いずれは作者ごとのまとめ記事を作っていこうと思います。

最後に

流石にここまで読んだ方はいないでしょう。
拙く長い文章でしたが少しでも読んで頂けたなら感謝でございます。

 

ピエロ